西日本の地方都市で、母と二人暮らしをしている50代後半の独身女。平日フルタイム勤務で技術系の補助職をしている会社員だ。
父が15年前に癌で他界して以来、母と二人、2LDKの賃貸コーポで暮らしている。
妹がいるのだが、結婚して東日本の地方都市在住と遠方のため、基本私一人での介護生活である。
このブログは、私と同じように『働きながら親の認知症かも?』と悩む方に向けて、笑いあり混乱ありの私の実体験を、不定期であるが包み隠さずお伝えしようと思う。
ここでは、私が最初に「おかしい」と気づいた瞬間から、診断・介護へと続くまでの経緯を時系列に沿ってまとめてみた。
違和感を抱きながら「もしかしたら認知症かも?」と推定で動くのは嫌だった。 異常行動が増える中で、「理由がわかれば、周囲にも説明しやすくなるし、対応もできるはず」と考え、専門の診断を受けることを決意するのだ。
あの時、私が見逃したサインを知ることで、あなたの不安や迷いが少しでも解消できれば幸いです。
働きながら気づいた認知症の初期症状:最初の違和感は「忘れ物」
現在、母は80代前半で、レビー小体型認知症とアルツハイマー認知症の混合型と診断されている。この診断は2年前だが、それより1年ほど前に認知症と診断はされていた。
母は、几帳面というより、物覚えが良く、手先も器用で料理も大胆ではあるが得意、手芸(特にシルクの布花)が大好き。
そんなに忘れ物はしない母であったが、数年前のある日外出先に荷物を1つ忘れて帰ったことがあった。
荷物を忘れた事に母本人はものすごくショックを受けていた。
私は子供の頃から忘れんぼ大魔王のため、「そんなこともあるよ」と、あまり気にしていなかったのだが、母は何度も「忘れるなんて」と口にしていた。
「今までこんな忘れ物はした事がなかったのに。」と。
今思えば、これが最初のわかりやすい認知症の兆しだったと思う。
この時もっと母に寄り添い、聞いていればよかった。本人が違和感を覚えた出来事で、無意識にSOSを出していたのではないかと思えてならない。
その後、日々の家の中での小さな探し物は勿論のこと、高速道路のサービスエリアのトイレに、貴重品の入った鞄を置き忘れるなど慌てることもあった。
今更だがあの時気付いていればとしみじみ思う。
まぁ、無理か。。。
レビー・アルツハイマー型認知症の混合型?見過ごせない家の中の異変
数年かけて、緩やかにそして徐々に母の異変は増えて行った。
鍋の空焚きや火のつけっぱなし
鍋の空焚きも何回もあった。コンロの火だけがついていたこともあった。
何度もひやひやして、IHコンロにしたかったが、賃貸なので諦めた。
料理の味が変!認知症による味覚・段取りの変化
大胆だが美味しかった母の料理が変わった。食べられるけれど味がよくわからない、べちゃべちゃの料理になっていった。段取り悪く、味もめちゃくちゃで、べちゃべちゃした料理を作るようになっていった。すべてがべちゃべちゃ。
ある日、母に「これ何?どうやって作ったの?」と聞くと、「わからんのよ。段取りも味付けも何もわからんの」と答えられた。
「えっ?本当に?何もかも?」
私は、聞き返すしかできなかった。
洗濯や家事の段取りができない:認知症による日常生活の変化
料理は早々に私が耐えられなくなったので、担当するようになったが、洗濯は母の担当になっていた。
しかし、どんどん白いタオルが黒ずんでいく。かと思うと、洗剤の匂いがものすごく残っている。
ちゃんと洗っているのか疑わしくなっていった。
休みの日に、そっと母が洗濯をする様子を見ていると、洗剤の入れ忘れ、逆に入れすぎ、途中で「壊れた」と言って操作を中断するなど驚いた。
お金の計算やATM操作ができない:認知症で困ること
お金に関しても、支払い金額と小銭の計算がすぐにできず、お札で払うようになっていた。
ATMの使い方がわからなくなり、そばにいた女子高生を捕まえて暗証番号と金額を入力してもらったこともある。話を聞いてびっくりしたが、頼まれた女子高生はもっとびっくりしただろうね。ありがとう。いい人でよかったよ。
転びやすくなった・ケガが増えた:レビー小体型認知症の兆候?
また、よく転んで怪我をしていた。足が悪いからと本人は言うのだが、とにかくよく転んでいた。
職場で足を取られタイルの上に転び顎を打ちつけ、ぱっくり切れて縫った。「顎が砕けたかと思った。」と言っていた。職場が病院関係で良かったよ。
雨の中歩いていて、段差につまづき側溝に落ちて血だらけになり、これまた道ゆく人というか車を捕まえて助けてもらった。
運転手の人、雨に濡れた血だらけのばぁちゃんに、車を止められてビビったろうなぁ。ありがとうございます。
トドメは、行くなと止めていたのに、近所のガソリンリンスタンドに自転車で灯油を買いに行き、転けて頭を打ち、記憶を飛ばしていた。ガソリンスタンドのスタッフさんが、近くまで一緒に帰ってくれたらしい。。。本当にありがとうございます。。。。。
職場での人間関係・愚痴が増加:働き続けた母の認知症による変化
この頃、母は80歳になる目前だったが、働いていた。
見た目も体力も実年齢よりかなり若く、60代に見えていた。我が親ながらバケモンかと思うくらいだった。家庭の事情もあり、良く働く人だった。
けれど、2~3年前から職場の愚痴が増え、同じことを繰り返して言うようになっていた。人間関係が良くなかったみたいだ。
「辞めたら?」何度も言ったが、「働ける間は働きたい」と言い、近所に友人知人もおらず、社会とのつながりは必要だと思い、あまり強く言わなかった。
これも今思うと、なのだが、認知症の兆しの症状が出ており、上手く仕事が出来なくなっており、上司をイライラさせていたのではなかろうか。
そして、どんどん年寄りになっていった。
【まとめ】「おかしいな」と思った時点で介護は始まっている
“おかしいな”と思った時点で、介護はもう始まっている。
振り返れば、たくさんあるのだ。あれっ?と思ったことが。些細なことはかりなんだけど。
見て見ぬふりをしていたのだ。
でも、その違和感こそが大切なサイン、兆しだった。
あの頃の私に言ってやりたい。
そこ気を付けるとこっ!!見逃すなっ!!
仕方ないよね。初めてのことだし、まさか自分の親が──なんて、誰だって思う。
でもあの時の“おかしいな”が、介護の始まりのサインだった。
この経験が、誰かが同じサインを見逃さないきっかけになればいいなと思う。
数年かけて異変が増える中で、単なる老化では片付けられない異常行動(鍋の空焚きや金銭管理の困難など)が増えていった。私は「認知症かもしれない」と推定で動くのが嫌だった。
「とにかく異常行動の理由を知りたい。理由がわかれば、落ち着くための薬もあるかもしれないし、何よりも職場や周囲にもきちんと説明して、理解をしてもらいやすくなるはず。」そう考え、妹と相談し、専門のクリニックに行くことを決たのだ。
次回は、「働きながら認知症と診断された後の初期対応とその後」や「認知症発覚直後のお金・仕事の不安」について書けたらなと思っています。
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