「推定で動くのは嫌だ」認知症診断を経て、交流のために介護認定を考えた理由

今回は、母の認知症診断を受けた後、私が「交流の場」を確保するために介護認定を考えた経緯をお話する。
介護認定は必ずしも介護サービスを受けるためだけではなく、家族の安心や社会とのつながりを守るための大切な手段である。
働きながら初期対応をどう進めたか、具体例を交えて伝えようと思う。

異異常行動の増加と認知症診断を決意した理由

最初は「まぁ、歳だしなぁ」くらいに思っていた。

しかし、鍋の空焚き、料理の味がめちゃくちゃになる、ATMの操作がわからなくなる…。これらの異変が数年かけて増えていき、単なる物忘れでは片付けられなくなっていった。
そして、ある考えが頭をよぎる。考えたくない、否定したいのだけれど。

「認知症ではないのか?」と。

異常行動が増えるにつれて、「認知症」の疑いは確信へと変わっていくのだが、私は医者ではない。「推定で動いてはいけない」と思っていた。

また、「もしかしたら認知症かも?」という“推測”だけで不安を抱え続けるのは、精神的に疲弊する。母本人も気に病んでいた。

とにかく異常行動の「原因」を知りたかった。

  • 原因がわかれば、職場や周囲にもきちんと説明でき、理解してもらいやすくなるはず。
  • 原因がわかれば、私たち家族も落ち着いた対応ができるはず。
  • そして、もし薬で症状が落ち着く可能性があるなら、それも試してみたい。

この切実な動機が、私を専門のクリニックへと向かわせたのだ。

認知症診断後の日常と初期対応

専門のクリニックといっても、最初はどこに行けばいいのか迷った。母の病院嫌いも相まって、いきなりの認知症の病院というのもハードルが高かった。
妹に相談をし、まずは「物忘れ外来」がいいのではないかということになり、インターネットの口コミや評価を見て病院を探した。
近所に良さげな在宅診療もしてくれるクリニックがあった。

2021年11月に母と一緒に調べたクリニックへ行き、通称「長谷川式テスト」、正式には「改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)」を受けることとなった。その結果。

やはり母は「認知症」と診断された。

正直、ショックがないと言えば嘘になる。しかし、「あぁ、やっぱり」と診断された安堵感があったのも否めない。そして、まだこの時は生活に「大きな混乱や不安」はほとんどなかった。

「認知症=すぐに介護が必要」と思われがちだが、そうでもなかったのだ。最初の診断を受けた時は「介護」というほどのものは必要ではなく、「手助け」程度だった。
母は月1回の通院に、800メートル離れたクリニックへ自分で歩いて通えていたし、仕事もしていた
通院のたびに先生から「最近どうですか?」と聞かれても、自分の困っている事をきちんと伝えて相談していた。普通に生活をしていたのだった。

最初の診断後も「介護が必要」というより、ちょっとした日常の「手助け」程度だった。

ただ、先生に言われた言葉は今でも忘れられない。

「認知症はガタッっと落ちるように進行します。都度様子を見ながらです。」

その時は、それほど深刻に受け止めていなかった。

火の元対策と家事の分担で日常を守る

不安はなかった、と言ったが、例外が一つだけあった。それは火の元だ

冬場、石油ストーブを好んでいたため、真っ先にタイマー付き石油ストーブに変えた。タイマー付きは意外となく、アラジンの石油ストーブをやっとの思いで見つけた。(今シーズンはタイマー付きでも危ないと思うので、エアコンで対応する予定。)

次は、鍋の空焚きが何度もあったコンロの恐怖だ。

賃貸住宅で、コンロが備え付けのため、付け替える事はできない。どうしたものかと考え、「電気圧力鍋やIH一口コンロがあれば大丈夫かも」と、まずは電気圧力鍋を買った。

しかし、母は電気圧力鍋の操作の仕方をすぐに忘れてしまうのだ。何度説明しても。
鍋のセッティングもだ。蓋の仕方、コンセントの付け方。
こんなんだとIH一口コンロ買っても同じだなと思い、購入しなかった。

結局、一番確実な方法として、私が料理の全てを担当するという形で解決させた。これは介護というより、家事の分担変更という感覚だったかな。

不安の芽は、小さな工夫で一つずつ摘み取る。これが、私が働きながら日常を維持するために最初に取った対策と言えた。

働きながら職場に伝える、理解と保険のための工夫

診断を受ける前から、私は勤めている会社の上司達に相談をしていた。比較的早い段階から、話のネタ的に「相談」という形で話していた。
「聞いてくださいよ〜。最近うちの母が〜。どうしたらいいですかねぇ?」っていう感じで。
話したきっかけは忘れたが「万が一、母の容態が急変した時の保険」として必要なことだと判断したからだ。

なので、診断を受けた後もすぐに報告をした。

幸い、私の職場は理解があった。
30人程の会社で話が通りやすく、介護が身近な世代が多いからだと思う。
特に、会社の創設者である会長の奥さんが、親身になって話を聞いてくれたり、ご自分が受けてよかったからと「認知症サポーターの講座を受けてみたら?」と勧めてくれ、実際に講座を受けた。概略であったが、相談できる公共機関や地域コミュニティの一覧表をもらえて参考になった。実際の利用はあまりしなかったが、心強かった。

職場に伝えておくことで、急な休みや遅刻・早退が必要になった時に、周りの協力を得やすくなった
私の場合は、職場が理解を示してくれたことで、「まだ自分一人でなんとかなる」という安心感に繋がり、結果的にフルタイム勤務を続ける大きな支えになっている。

交流の場確保のための介護認定

「認知症」と診断されたものの、すぐに介護認定を申請しなかった。特に母は介護が必要ではなかったからだ。気をつければ済む程度たっだ。

しかし、2022年12月末、状況が一変した。母が勤めていた会社を突然、辞めて帰ってきたのだ。

これが、私が「介護認定」へ動く決定的なきっかけとなった。

  • 問題: 母は社会との繋がりを失い、日中の活動の場がなくなってしまった。
  • 私の動機: 私が仕事に行っている間、家に一人きりにするのは心配。何よりも、「人との交流を続けて、生きがいを持ってほしい」

そう、私が介護認定を急いだ真の目的は、「おむつ交換」や「入浴介助」といった介護サービスのためではなくデイサービスという「交流の場」を確保することだったのだ。

デイサービスを利用するには介護認定が必須。だから、私は「介護の保険」や「将来の備え」として、2023年1月、市役所に電話をかけ相談し、地域包括支援センターへ向かうのだった。

まとめ:介護認定は将来の保険として早めに相談

ご本人(被介護者)が嫌がるケースをよく聞くし、説得は大変だと思うのだが、私の経験から言うと、「介護認定」という言葉に身構えず、“家族の安心保険”として、まずは地域包括支援センターへ相談してほしい。
早く動くほど、後の自分(介護者)を助けることになる。

私が学んだのは、「介護認定は、不安や緊急性がないうちから早めに動くべき」ということだ。
「介護が必要になってから」では、もう遅い。

私のように「交流の場の確保」や「将来への保険」として、認知症の診断を受けたらすぐに申請することを強くお勧めする。いろいろな情報も入ってくるし、何より安心できる。

次回は、私が初めて地域包括支援センターに行った話、そして介護認定の結果「要支援1」となった後の体験をお届けする予定。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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